玉山国家公園は台湾の中央にあります。その最も古い地層は、中央山脈の東側にある変成岩からなる基盤岩「大南澳雑岩」です。これは、台湾でも最古の地層と言われています。主な岩石は、黒色片岩、緑色片岩、珪質片岩、大理石などです。このエリアは、フィリピン海プレートとユーラシアプレートが何度となく衝突した影響で、岩質がもろく、断層や節理、褶曲(しゅうきょく)などの地質構造が非常に発達しています。変成作用によって岩石のへき開や片理(へんり)などが極めて顕著に表れています。また、これは風化に対する抵抗能力も大きく下げており、大峭壁、向陽山崩壁、金門ドウ断崖、関山大断崖など、壮観な崩壊地や断崖地形の数々を作り上げています。(山へんに同)
玉山国家公園では、高度差が気温に変化を与えるため、気候に応じた多種多様な植物が生息しており、熱帯、暖帯、温帯、寒帯のそれぞれの気候の森林帯が存在します。海抜の低い場所には広葉樹林が広がり、広葉樹林と針葉樹林が共存する場所を経て、海抜の高いところに至ると針葉樹林が広がっています。このように、完全な森林生態系を有することから、玉山国家公園の植生状況は、台湾の植生状況の縮図といってもいいでしょう。
玉山国家公園には山々が広がり、典型的な山岳型国家公園となっています。同公園内には、玉山の主峰のほか、その周辺に標高の高い山々がそびえ立っています。標高3000メートルを超え、台湾百岳(日本の「日本百名山」に相当)に挙げられる山としては、秀姑巒山、馬博拉斯山、新康山、関山など30座に上ります。プレートの衝突によって地殻が隆起、褶曲して形成された地形のため、同公園内には山々がそびえ立ち、渓谷が縦横に広がっています。こうした複雑な地形が、熱帯、暖帯、温帯、寒帯の4つの気候に適した森林帯を作り出しました。植物の種類は、標高が上がるにつれて変化していきます。同公園内には台湾に存在する原生植物の半数以上が生息しています。こうした特色ある環境は、野生動物たちにも絶好の生息環境を提供しています。
調査によると、玉山国家公園内には少なくとも哺乳類34種が生息しています。これは、台湾に生息する哺乳類全体の54.8%を占めます。そのうち8種類は台湾固有種です。中でもタイワンザル、キョン、タイワンカモシカなどは、同公園内の至るところで見ることができます。鳥類は151種で、うち台湾固有種は15種です。中でもサンケイやミカドキジは、絶滅の危機に瀕している世界の鳥類リストに加えられています。爬虫類の種類と個体数は標高が高いためいずれも極めて少なく合計17種となっています。そのうちヘビ類13種、トカゲ類4種です。うちアリサンハブやザウテルヘビ、スインホーキノボリトカゲが台湾固有種です。また、410種のチョウが生息し、「チョウの王国」と称される台湾ですが、その半数以上となる228種(56%)が玉山国家公園に生息しています。しかも、大変貴重なことに、台湾固有種のチョウは約50種いますが、そのうち玉山で発見されたものは32種に達し、実に全体の64%以上を占めます。
玉山国家公園内にある河川は、いずれも水源或いは河川の上流にあたるものです。水は冷たく、水質も良く、人為的な汚染を受けていません。このため高山の河川に住む魚にとって、良好な生活環境となっています。ここには少なくとも台湾固有種の淡水魚、タニノボリ科の台東間爬岩鰍(Hemimyzon taitungensis)とコイ科の高身サン頷魚( Onychostoma alticorpus)の2種が生息しています。両生類は12種生息しており、そのうち10種は無尾(むび)目でアカガエルの梭徳氏赤蛙(Rana sauteri)、アオガエルの莫氏樹蛙(Rhacophorus moltrechti)、褐樹蛙(Buergeria Robusta)などは台湾固有種です。有尾目はタイワンサンショウウオとソナンサンショウウオの2種で、いずれも台湾固有種です。標高2000メートル以上にある森林の暗く湿った場所に生息するサンショウウオは、台湾では非常に貴重な有尾目の両生類です。中国大陸に生息するチュウゴクオオサンショウウオとは血縁関係がある。サンショウウオは今から1億4500万年以上前のジュラ紀後期にはこの地球上に出現しており、台湾が氷河期を経験したことを証明する重要な証拠の一つでもあります。(サン=金へんに産)
植物について見ると、簡単な調査の結果、玉山国家公園には現在、少なくとも裸子植物が17種、被子植物が984種、シダ植物が238種、コケ植物が177種生息していることが分かっています。同園内では、標高300メートルの拉庫拉庫渓の川底から標高3952メートルの玉山主峰まで、植物の垂直分布帯が広がっています。このため複雑な森林帯が作られており、亜熱帯植生のみならず北国の植物まで観察することができます。標高の高いところから低いところまでの植生分布は下記の通りです。
高山帯:高山帯は植物の生存環境の極限です。地球上の高緯度地帯、或いは高山の森林限界より上、雪線より下の地帯のみに出現します。
高山帯は、玉山国家公園の標高3000メートル以上の地帯に分布しています。高山帯の植物は2種類の植物群落に分けることができます。1つは高山帯の標高の低い部分の、森林限界と隣接しているところで、ここにはニイタカビャクシンやニイタカシャクナゲといった木本植物が生息しています。強風や豪雪の影響を受けるため、多くはほふく性の低木となっています。一方、稜線近くでは見渡す限り草本群落或いは裸地(らち)が広がっています。
亜高山帯針葉樹林:高山帯から下、標高3000メートルまでの地帯に生息する樹木は多くが常緑樹で、亜高山帯針葉樹林が広がっています。この地帯の土壌の発育は高山帯より良好ですが、傾斜があり、強風や暴雨による浸食を受けやすいため、むき出しの石が多く見られます。しかし、風を避けられる、傾斜の緩い谷間には暗い湿地帯があります。乾燥地帯と陰湿地帯の2つの環境には、それぞれニイタカビャクシンとニイタカトドマツの2種が植物群落を形成します。ニイタカトドマツの下には、人間の背丈ほどのニイタカヤダケ、それにニイタカシャクナゲ、ロサ・ペンドゥリナなどの低木が、湿ったところにはコケやイワヒバなどが生えています。
冷温帯針葉樹林は標高2500メートルから3000メートルまでの間に分布し、ニイタカトドマツの生息地の下方に位置します。この地帯は降雨量が多く、1年を通して湿潤な気候です。冷涼な気候が植物の成長に大きな影響を与えているため、この地帯の森林はツガとトウヒが中心となっています。公園内で最もよく見られ、広範囲に生息しているのはニイタカヤダケとススキです。この地帯は気温が低いため、焼け死んだ樹木の幹が腐敗して倒れにくく、そのまま白木林になります。この林の下に生息するヤダケは地下に根を張って火を避けるため、他の草木よりも早く芽を吹き、次第に繁殖して焼け野原を覆い、この一帯を草原へと生まれ変わらせています。
暖温帯針葉樹林は、冷温帯針葉樹林の下方から標高1200メートルまでの地帯に広がっています。この地帯は針葉樹と広葉樹が交差するところで、台湾本島で最も雨量の多いところでもあります。大気中の湿度は極めて高いため「霧林」とも呼ばれています。タイワンベニヒノキ、タイワンヒノキ、タイワンスギ、タイワンイチイなど、貴重な樹木がここに生息しています。
暖温帯雨林は玉山国家公園の標高2100メートルから900メートルまでの地帯に広がっています。クスノキ科やブナ科の植物が最も多く生息していますが、標高が低いため、原生群落はすでに少なく、スギの人工林や、タイワンマダケ、モウソウチク(孟宗竹)などに取って代わられています。また、クルミ、ハンノキ、ニレ科の山黄麻(Trema tomentosa)などの先駆植物がまばらに生息しています。
熱帯雨林は玉山国家公園の標高の最も低いところに分布する植物群落です。東部に位置する拉庫拉庫渓谷の標高900メートル以下の地帯にあたります。この地帯の気候は高温多湿で、大部分は常緑の広葉樹で形成されており、落葉樹もところどころに見られます。森林にはつる植物や着生植物が生い茂り、板根を持つ植物や幹生花(かんせいか)植物が生息しています。
玉山国家公園を、1997年に世界文化遺産と自然遺産の両方の基準を満たす複合遺産に登録されたフランスのミディ・ピレネー地方のモン・ペルデュと比べてみましょう。ピレネー山脈は標高3352メートルのモン・ペルデュを中心に、スペインとフランスの国境をまたいでいます。両国は1918年と1967年に、それぞれこの地に国立公園を設置しました。ピレネー地方には湖や滝、むき出しの岩石、氷河や大渓谷などがあります。標高差が大きいため、極めて豊かな植物相を育んでいます。つまり、亜地中海性気候、アサ科、山地、亜高山帯、高山帯といった5種類の植生です。また800種余りの哺乳類動物がここに生息しています。ピレネー地方はスペインとフランスの両国の対話において重要な役割を果たしており、ピレネー山脈一帯の文化、伝統、農業生産などには多くの共通点があります。
玉山国家公園は、プレートが押し上げられて隆起した関係で、ピレネー山脈よりも山が高くそびえ立っています。壮観な断崖絶壁のほか、湖、滝、渓谷、むき出しの岩石や、海底からせり上がった一枚岩「大峭壁」などを、あちこちに見ることができます。公園内にある高い山はその垂直分布により、熱帯、暖帯、温帯、寒帯の4つの森林帯を作り出しています。公園内の70%が2000メートル以上の高山地帯にあり交通が不便なことから、大部分が原生林のままになっています。玉山国家公園とピレネー山脈のモン・ペルデュはいずれも豊富な植生を有しており、地形や景観において多くの類似点があります。
玉山国家公園が、絶滅の危機にある動物たちにとって重要な生息地であるという観点から考えると、その重要性はピレネー山脈のモン・ペルデュよりもはるかに高いと言えます。これが、玉山国家公園の世界遺産登録を目指す重要な基点となっています。
八通関古道は、完全な状態で保存されている史跡の一つです。東埔温泉を経て八通関大草原に至り、それから花蓮県玉里鎮に抜けるルートは、かつて中央山脈を東西に横断するために整備された山越えのための古道です。現在は「国家一級古蹟」に指定されています。同治13年(1874年)、日本政府は台湾に漂着した琉球島民54人が地元「牡丹社」の先住民族によって殺害されたことを口実に台湾への出兵を行い、これに対して清は沈葆楨を台湾に派遣し、日本政府との交渉にあたりました。沈葆楨はその後、日本が台湾の領有を狙っているだけでなく、英国やフランスなどの国々もベトナム、シンガポール、インドを占領した後、南洋諸島への進出を積極的に進めていることを知りました。このため沈葆楨は「開山撫蕃」(台湾東部の開発と高山族の漢化)を展開し、中国大陸の福建省や広東省から台湾へ大軍を呼び寄せ、北路、中路、南路と台湾東部へ通じる道路を建設。中央山脈を挟んだ東西の交通システムを築き、防衛の目的を達成しました。
そのうち中路は、清の台湾鎮総兵、呉光亮が率いる「飛虎軍」が、林イ埔(現・南投県竹山)から東埔、八通関へ至り、秀姑巒山を越えて璞石閣(現・花蓮県玉里)に到達する道路、全長152キロメートルを約10カ月で完成させたものです。呉光亮は、鳳凰山麓の岩に「万年亨衢」の四文字を残しました。この道路が、一万年先も妨げがなく通行できるように願うものでしたが、その後、この道路を利用する人は極めて少なく、また軍による維持管理も継続されなかったために、徐々に廃れていきました。(イ=土へんに巳)
先住民族文化:現在、玉山国家公園とその周辺に住んでいる先住民族はツオウ族とブヌン族です。ツオウ族は人口が極めて少なく、その集落は日本統治時代、日本政府により移住を強制され、またブヌン族と居住地を共有するようになったことから、籠編みや網結い、機織り、竹細工などの伝統文化はほとんど廃れてしまったか、または完全に失われてしまっています。ブヌン族は、中央山脈の深い山奥の渓谷に分散して住んでおり、ツオウ族と同様、日本政府の「理蕃政策」により集落の移転や、他の民族との居住地の共有を余儀なくされました。このため集落同士の違いがそれほど顕著ではなくなっています。その親族組織は集落の移転によって失われることはありませんでしたが、居住地の共有によって、コミュニティーが本来有していた社会機能が低下しました。ブヌン族の宗教信仰は、かつてはアニミズムでしたが、時代の変化に伴い、行事や祭典などはすでにこの地域の主要な信仰であるプロテスタントやカトリックの宗教儀式と結合し、新たな様相を呈しています。