台湾のパイワン族の建築様式としては、石板建築と草ぶき屋根建築の2種類があり、おおよその分布は、士文渓という河を境に分かれています。七佳旧社から士文渓までは山を一つ隔てただけの距離で、居住建築としては、母集団であるpaumaumaqの建築様式を踏襲しています。このため本文では、パイワン族の七佳旧社を代表的な集落として、以下にパイワン族の石板建築の特徴を紹介します。
1、石材:
採石場が、石板屋のある集落からは歩いて約2時間かかる下方の七佳渓上流にあるため、石板の建材調達は非常に困難な作業となります。黒い石板に触れるたび、先人が苦労して、大きな石を切り出し、石板を一枚一枚河から運び上げたことが頭に浮かび、先人の根気と忍耐強さに対し、尊敬の念が生まれます。また、これが同族の人々の石板屋文化に対する思いをより深いものにしています。
石板屋の建材は地元で調達しますが、石を選定する段階からこだわりがあります。一般的には、石材は硬さで区別します。硬く割れにくい石板はoqalai(硬石)と呼ばれ、黒く、比較的重いこと、光を反射すること、たたくと音が響き、密度が高いことが特徴です。祖霊柱(頭目や貴族の家に設置された先祖をかたどった柱)や屋根、寝台、大広間の床石、前壁の仕切りなどに適しています。一方、比較的割れやすい石材は、色が薄くて軽く、たたいた時の音が鈍いこと、触ると細かい欠片が剥がれるといった特徴があり、このような石をvavaian(軟石)と呼びます。軟石はもろいため、通常は、石板屋の中でも頻繁には利用しない場所、例えば、かまどや石を積み重ねた壁、屋根のフチなどに用います。或いは、村道の地面の石板に使うこともあります。七佳の集落では、創意工夫をこらして石板を利用し、最大限に活用しているのです。
2、木材
木材の選択にもまたこだわりがあります。梁は屋根の石板を支える重要な役割があるため、慎重に木材を選定する必要があります。アカギ、クスノキ、ケヤキ、タイワンオガタマノキ、ヒノキ、ナンボクなどはすべて、1979年に林務局が伐採して造林するまでは、至るところで手に入る建材でしたが、造林されてからは、原生林が徐々になくなっていきました。このため、老七佳の石板屋に現在残る梁の大部分は、百年以上経った建材で、非常によく保存されているものです。当時、石板屋を建てるには、石材の収集や整理、切り出しのほか、木材の探索や伐採、運搬、断裁、組み立てなどを、機械などがない中で、先人が自分たちの手と知恵を使ってこなし、必要な木材を集落まで少しずつ運ばなければなりませんでした。石板屋は全村民の協力、パイワン族の団結の象徴でもあります。
1、全体について
石板屋の構造は、耐力石壁が中心的な組織で、梁がそれに次ぐ組織となっています。正面壁(tseleb)は板状の岩を縦に据えたもので、側壁は頁岩の石板を60~90センチの幅に重ねており、パイワン族の言葉で「ubu」と言います。屋根(qaliu)は切妻屋根で石板を葺いてあり、前の屋根面が長く、後ろは短くなっており、それぞれ、前庭と後ろ側の山壁に向いています。全体的な小屋組は軒(sasuayan)、梁(siyangan)、垂木(vali)、板岩(qatsilai)で構成されています。切妻屋根の前側の屋根面は後ろの屋根面より長く、その比率はおよそ3:2となっています。屋根には木材で垂木を渡し、石板を大きいものから小さいもの、下から上へ、という順で葺いていき、隙間には一切の接着剤や固定するものを使いません。棟部分は石板が小さく、風雨で飛んだり落下したりしやすいため、竹と川底から採取した白い石で固定しています。白い石を選ぶのは、黒い石板に美しい白が際立つため。戦いが続いていた時期には、遠くの敵から、白い石が頭蓋骨を並べているように見え、敵が恐れをなして越境してこないという効果もありました。
2、耐力構造
耐力構造としては、両側の石積みの壁を中心とし、棟木を祖霊柱が支えており、建物全体で計7本の梁が使用され、軒先が石板屋の前傾する力を軽減するよう支えています。日本統治時代には木造トラスtjakelaが導入され、側壁が支える力を補助しています。
3、排水システム
隣家がなければ、側壁の上部に屋根面と平行に石板を配置します。雨の際、雨水をその石板に沿って流し、屋内に流入するのを防止するのが主な目的で、また、側壁に水が浸入して崩れるのを防ぐためでもあります。
4、施工方法
石板屋はパイワン族の伝統的な建築様式で、その建材は頁岩の石板が最も多く、次いで多いのが木材です。先人は苦労して石板屋を建築しました。頭目の許可を得て、土地をもらう段階から気を使って苦労します。土地を取得してからも、整地や石の運搬などの労働は、農閑期になってから、同族同士で労働力を融通し合って行うか、もしくは、単独で時間をかけて完成させます。
(三)空間利用
1、屋外空間
七佳旧社では、各住居の前にそれぞれの大きさの前庭(katsasavan)があり、家族や客が休むための場所となっています。現在でも、七佳旧社では、長くこの集落に住む人が前庭にある石板の椅子に座っておしゃべりする様子が見られます。家屋は山に沿って建てられているため、前庭の端が坂で、その下がすぐ隣の家の屋根になっていることがあり、人の行き来が容易で、人付き合いのネットワークが緊密です。集落の中で比較的大きな家の前庭の外には広場があります。特に頭目一族の広場は非常に広く、かつては、頭目の号令で村民が集まる場所であり、また、豊年祭や五年祭といった祭りや儀式を行う場所でもありました。伝統的な家屋の広場には、掘立柱式倉庫(qubao)が建てられており、収穫したアワやタロイモなどを保存しました。祖霊屋という、頭目クラスの家にのみある施設は、石板屋と似た構造で造られています。祖霊屋は、その地を切り開いた頭目が、家を建てる際に最初に着工した地点と伝えられており、「tsinektsekan」といい、「矛と矢を挿した場所」という意味です。豊年祭と五年祭ではいずれも、祖霊屋での祭祀から始めます。
伝統的な集落の生活は単調です。野外で蜂の巣を見つけると、中のミツバチをすべて取り除き、持ち帰って、一族で分け合います。完全な形の蜂の巣を見つけた場合は、巣のついている幹ごと切って持ち帰り、家の軒下に置いて、ミツバチにはそのまま、その巣で生活をさせます。七佳旧社の(tjavetseqat)軒下にはまだ蜂の巣がありますが、残っているのは空洞の樹の幹だけで、まさに、七佳旧社から人が去り、空き家になって荒廃した景色を示しています。
2、室内空間
母屋の平面図は多くが長方形で、横幅が広く、奥行きが比較的短めです。母屋の入り口は、前壁の左か右寄りに位置していることが多く、屋内は、前室(tara)と寝室(qaqarngan)、居間(kasintan)、貯蔵スペース(babunemangan)、トイレ兼豚舎(qatsan)に分かれています。入り口を入って左側(もしくは右側)に寝室(qaqarngan)と前室(tara)、玄関を通過して部屋の中心が居間(kasintan)、壁寄りのところが台所と食堂(kakesanまたはqavuqavuwan)で、ここには、かまどと、その上に備え付けられた棚があり、食器が置いてあります。居間から台所までの広いスペースが家族の生活の中心で、家族がともに生活する親密感と帰属性がよく分かります。